1999年までの





Q.「トリローコレクション」の年譜の「雲隠れ事件」記述中、「ユーモア劇場」が録音にKRCを使う・・・、と言う下りがありますが、「KRC」とは何の事なのでしょうか? スタジオか何かだとすると何処にあったものなのでしょうか?

A.青山にあったスタジオ「国際ラジオセンター」の略です。



Q.「トリローコレクション」の「ア・ラ・カルト」中、CMソングが途中でフェイドアウトしていく曲がいくつかありますが、これは、何故なのでしょう?CDの容量 の問題なのでしょうか。
また、「アスパラで生き抜こう」の3曲目が最後の部分カットされていますね。こちらは、何があったのでしょうか?

A.途中でフェイドアウトしていく曲は、CDの容量で限定されました。
「アスパラで生き抜こう」の3曲目のカットは当方のオリジナル音源が切れてしまっていた為です。



Q.「知ってるつもり?」の三木のり平さんの回のエンディングを何気なく見ていて「三木鶏郎企画研究所」のマークに驚きました。
ちらり、でしたのでよく分かりませんでしたが、どんなマークなのでしょう。

A.ご覧になったマークは「三木鶏郎企画研究所」のロゴマークで、三木鶏郎グループのそれです。
三木鶏郎グループ結成当時から変りません。

「三木鶏郎グループ」マーク御紹介




Q.三木鶏郎氏と聞けば私は実弟の三木鮎郎氏にも思いを巡らすのですが、鮎郎氏の方はどのような事をなされていたのでしょうか。
初期の三木鶏郎グループの一人だった、と言うのは何かで聞いたことがあるのですが。
確か、トニー谷氏の映画「家庭の事情シリーズ」や歌では「オッパポロポン節」などを手がけられていましたよね。
この他にもどのような面で活躍されたのでしょうか。また鶏郎先生と鮎郎先生、兄弟で何か残された作品と言うものはあるのでしょうか。鮎郎先生の場合、資料が少ない為に歴史に埋もれがちですが、何かの機会に鶏郎先生のHPの一コーナーとして設けてほしいと思います。

A.鮎郎氏に関しても鶏郎同様一言では説明しきれませんので、あらためてコーナーを設けたいところですが、
ここでは簡単なプロフィールを御紹介しておきます。
初期は鶏郎と「冗談音楽」に出演し、その後、構成、脚本の放送作家の道で活躍されました。
作品に映画では「家庭の事情シリーズ」や「東京チャキチャキ娘」など。テレビでは「のり平の喜劇教室」「光子の窓」などがあります。「スター千一夜」「TBS歌謡ベストテン」「11PM」などには司会者として出演していました。また英語が堪能で海洋小説や「オールザットジャズ」といった翻訳を手懸け、更に運動神経が抜群でゴルフやテニスの入門書も著わす、という多芸にして多才な方でした。鶏郎と共同で残した音楽作品はありませんが、例えば「冗談ウエスタン」などのラジオ番組で鮎郎氏が構成、DJを担当、鶏郎が音楽を担当するといった形で放送界で関わりました。




Q. 宮城まり子さんと暁テル子さんのCDがビクターから先日発売されましたが、宮城さんの「毒消しゃいらんかね」と「てんてん娘」は、トリローのボックスやコンピレーションものと音源が違いますね。曲も3番まであったりして。そこで質問です。僕が好きなのは「毒消しゃいらんかね」でも以前から聴いていた方なのですがこれが再録だったり,ラジオ用に短く録音されたものだったりするのかそこら辺を教えていただきたいです。みんながその当時どのバージョンで親しんできたのかっていうのはちょっと気になります。

A.ご質問のCDは当方HP<最近のNews>でも紹介している『昭和を飾った名歌手たち』です。
この「毒消しゃいらんかね」の音源はSPの復刻です。
ここで皆さんに『トリローコレクション』で訂正して頂きたい箇所があります。
『トリローコレクション』の Disc1に収録の宮城まり子さん歌う「毒消しゃいらんかね」のライナーノートで、
音源が「ユーモア劇場」の放送からとなっていますが、これは間違いです。

この音源は宮城さんレコーディング前の当方所蔵のプライベート録音です。
「毒消しゃいらんかね」は当時、放送では楠トシエさんが歌い、レコードを出したのは宮城まり子さんです。
当時、ラジオでこの曲に親しんでいらした方は楠さんの声で聴いていました。
また『昭和を飾った名歌手たち』収録の「てんてん娘」は当時のEPを復刻していると思います。
こちらは確認していないのですが、当方所蔵の音源と同じなので。
『トリローコレクション』に収録のものはTV番組「てんてん娘」のオープニングです。どの音源も年代的には同時期です。



Q. CD集「トリローコレクション」の「六年たてば六つになる」の中で2カ所音声がカットされていた部分がありましたが、これは、やっぱり、現在では使用が憚られる表現だったのでしょうか。また、「ちょいとボート屋さん」でも同様なカットがありましたが、こちらは何故なのでしょうか。前者に関しては、何となく想像がつくのですが、後者は理由が分かりません。単に保存上の難点などだったのでしょうか。宜しければ、お教え下さい。

A.「6年たてば6つになる」中のカット部はご推察の通り現在では差別用語になっている表現なのでカットしました。
後者の「ちょいとボート屋さん」でのカットも実は差別用語が入っているという理由なのです。
この件は今回初めて御質問を頂いたので音源のノイズと思って聞き流していられる方も多いのでは?
では、問題。
◯部分に入る差別用語、わかりますか?
「太鼓を叩いたら ◯◯◯◯◯と間違える」



Q.「僕は特急の機関士で」という曲はCD集に収録されているものや、エノケン氏が歌われているようなものがありますが、ものの本によると、この曲のヒットで各地方版を作られたとの事。私も「僕は特急の〜」の曲では東京〜鹿児島版と言うのを聴いたことがあります。では、地方版「僕は特急の機関士で」と言うのはどのくらい作られたのでしょうか。

A.「僕は特急の機関士で」がNHK「日曜娯楽版/冗談音楽」に登場すると、
地方版も作って欲しいというリクエストの元、東海道線に始まり、山陽、常盤、東北、奥羽、上越、北陸、信越、中央、羽越、関西、紀伊、山陽、四国、九州、北海道、房総と全国を巡りました。現在確認している歌詞は150番ほどあります。



Q.HP上のCM作品集の「乗り物編」の中に京阪電鉄のものがありました。
これは「淀屋橋から三条へ」となっていましたが、以前、大阪ABCより発売されていた京阪電鉄のビデオ作品中に挿入歌として用いられたCMソングでは「天満橋から三条へ」と言うもので4番まで歌詞がありました(淀屋橋まで路線が無かったため)。
例のCD集では1番だけでしたが「淀屋橋から〜」の歌詞でもオリジナルでは4番まで存在するのでしょうか。
それとも「天満橋」から「淀屋橋」へ歌詞が変わった時点で2番以降がカットされて、CD集に収録されているのが「淀屋橋」版のオリジナルとなるのでしょうか。

A.大阪ABCから発売されたビデオというのは、「甦る京阪電車の昭和時代」のことだと思います。
そこでは確かに「天満橋から三条へ」と歌われています。このCMソングが作られた昭和33年にはまだ淀屋橋が開通 していませんでしたので「天満橋から三条へ」がサビになったわけです。
「トリローコレクション」他で「淀屋橋から三条へ」となっているのは昭和38年に淀屋橋が営業を開始してから吹き込んだもので、当方の保存音源は1番のみなのです。元々のタイトルは「京阪特急」でしたが、大抵の鶏郎作品がその旋律のサビ部分で呼ばれるという由縁で「京阪特急」もレコード化にあたって「淀屋橋から三条へ〜」がタイトルになりました。
ですから「トリローコレクション」に収録されているものは「淀屋橋」版のオリジナルです。



Q.年表を拝見し、お亡くなりになった年も随分お忙しかったのだなと感心しました。
もっと鶏郎さんのことを知りたくなりました。
現在、書店で購入出来る三木鶏郎さんの著書はありますか?

A.1994年は本当に多忙の年でした。4枚組CDの発売、著書の出版、80歳の祝宴がかさなり、
年表には一部しか記載していませんが、取材等は大変な数でした。
「三木鶏郎回想録」(平凡社)、「私の愛する糖尿病」(筑摩文庫)が書店で入手できるかと思います。
もし在庫がなく、取り寄せも不可能と言われました場合は、当方までお知らせください。

1999年現在、「三木鶏郎回想録」(平凡社)は絶版となり、書店では購入できなくなりました。
当方ホームページ上でスタートした「トリロー売店」にて在庫をお売りしています。ご利用下さい。
また「私の愛する糖尿病」(筑摩文庫)も扱っております。




Q.はじめまして。子どもの頃から、トリロー先生のCMソングや漫画主題歌に親しんできましたが、「作品」として意識して聞きはじめたのは、比較的最近です。きっかけは、CBSソニーから出た「トリロー娯楽版」のCDですが、これは、偶然手にした訳ではなく、新聞か何かで発売を知って、次の日に早速買い求めた位 ですから、「無意識のファン」だったのでしょう。今ではCD化された音源を殆ど所持する「本物のファン」になりました。さて、小生の疑問なのですが、テレビ主題歌「ちょっと来てママ」の歌詞の中で、♪♪洗濯物がたまります。ごはんのしたく気になるの♪♪ という一節がありますが、小生の耳には、どうしても、この、「気になるの」の部分が「日に3度」と聞こえるのです。この歌はいろんなCDに収められてますが、どのCDの歌詞カードも「気になるの」と書かれています。でも、あの男性コーラスは「日に3度」と歌っている。少なくとも、コーラスの何人かは、そう歌っていると思います。でも、やっぱり小生の錯覚でしょうか?オリジナルの楽譜にはどう書かれていたのか、是非知りたいのですが。

A.申し訳ありません。と、まずお詫び。
ご指摘を頂きましたように、音源はどう聴いても「ご飯の支度 日に3度」と歌っておりますし、まさしくオリジナルもその通 りなのです。当方も94年の「トリローコレクション」発売後、そのミスプリントに気付きました。申し訳ありません。当方の調べでは1967年からこれまでに発売された「ちょっと来てママ」が収められたほとんどのソフトの歌詞カードにはそのミスプリで通 ってしまっていす。そしてなぜ「気になるの」になってしまったかと申しますと、恐らくレコードの制作段階で、担当の方がそう聞き違えて、歌詞カードに収めたとしか考えるほかないと思っています。以後は、それに右に習えで、当方のチェックが入らないまま、世に送り出されてしまいました。そんなわけで、今回ご質問いただいた方以外にも「ご飯の支度 日に3度」の部分を何度も聴き返して、?マークを抱えていらした方も多いのでは?
お手持ちの歌詞カードが「ご飯の支度 気になるの」になっておりましたら「ご飯の支度 日に3度」にご訂正ください。

上記のような市販ソフト上のミスプリントに関しては他にもいくつかあります。
といって、訂正する機会がないというのが実情でした。今後は「Q&Aのコーナー」で訂正のお知らせもして行きたいと考えて居ます。



Q.「燃えろペチカ」の作成年についてです。CD「トリローコレクション」で、三木鶏郎作詞作曲“1925”となっています。この“1925”が作られた時期だとするとあまりに早く、作った曲の数だとするとあまりに多いので昭和25年の間違いでしょうね、多分。

A.前述に続き、申し訳ありません、のお詫び。
作られた時期でも作った曲の数でもありません。
CD「トリローコレクション」(P47)で1925年とあるのはまったく誤りです。
「燃えろペチカ」の作成年は1953年(昭和28年)。
同ライナーノート(P6)の作品リストで1953年にリストアップされているのが 正しいのです。
こちらもCD「トリローコレクション」をお持ちの方はP47左列下から9行目、1925年を1953年にご訂正ください。



Q.「クロンボの唄」はどこにあるのでしょう?

A.ホームページの資料には残念ながらリストアップされなかった作品です。
「クロンボの唄」は「黒ん坊」で、1954年の三木鶏郎作詞作曲作品です。フランキー堺さんによって歌われ、
「三木鶏郎歌のお稽古」や「トリローコーラス」「トリローサンドイッチ」の放送で使われました。
現在ではタイトルが人種差別用語に触れますが、当時は何の問題もなく流れていました。



Q.「山の駅長さん」の♪今日は列車がやってこない、さては衝突がけ崩れ、線路伝いに行ってみれば、牧場の牛めが高いびき♪というフレーズを覚えています。この曲の入っているCDは?

A.「山の駅長さん」は1957年から文化放送で始まった文化放送「トリローコーラス」(7:00a.m.-7:10a.m.)という番組でこちらもフランキー堺さんが歌いました。また1959年には日本放送「トリローサンドイッチ」でも流れました。
両方で聴かれたという方も、どちらか片方の放送で聴かれたという方もあると思います。
ご記憶のフレーズは「山の駅長さん」の5番にあたります。
残念ながら「山の駅長さん」はCD化されておりません。



Q.三木鶏郎音楽作品にどうしても見つからない楽曲があるのですが....。

A.スペースの関係上、特に楽曲に関しては時代等で区分し、それぞれ30曲を目安にリストアップしましたので、記載できない楽曲はまだまだたくさんあります。
お探しの楽曲が見つからない場合は個々にご質問ください。



Q.昔を思い出し、メロディーは歌えるのですがタイトルがわかりません。

A.フレーズをお知らせ下さい。タイトルをお教えします。



Q.♪赤いレインコート、雨がしとしとと...♪で始まるフレーズを記憶しています。タイトルを教えて下さい。

A.「二人の雨」です。音楽作品のポピュラーソング『NHKユーモア劇場時代』に登録されています。