西暦 |
年号 |
月日 |
年齢 |
出来事 |
世界・日本の出来事 |
1951 |
昭和26 |
2月 |
37歳 |
三木鶏郎文芸部、冗談音楽愛好協会機関紙を発行開始。 |
1/25米講和大使ダレス来日。
|
1951 |
昭和26 |
4月1日〜 |
37歳 |
NHK「日曜娯楽版」で「日本文化史冗談版/イザナギ・イザナミの子孫の物語」始まる。 |
6/21日本ILO復帰、ユネスコ加盟。
|
1951 |
昭和26 |
6月 |
37歳 |
四谷に「凡天寮」開設。文芸部新人を公募。当時の文芸部員:江森彰/工藤昌男/小泉準司/能見正比古/野口汀。 |
7/10朝鮮休戦会談開始。
|
1951 |
昭和26 |
8月31日 |
37歳 |
三越名人会に出演後、三木鶏郎グループ解散。 |
9/8日米安全保障条約調印。
|
1951 |
昭和26 |
9月2日 |
37歳 |
NHK第204回「日曜娯楽版」で講和記念番組「六年たてば六つになる」(三木鶏郎作音楽)を放送。 |
9/1民放開局
|
1951 |
昭和26 |
9月7日 |
37歳 |
中部日本放送、新日本放送より三木鶏郎企画製作番組「冗談ウエスタン」始まる。同番組でコマーシャルソング第1号「僕はアマチュアカメラマン」(小西六)を発表。 |
9/10ベネチア国際映画祭で「羅生門」グランプリ。
|
1951 |
昭和26 |
- |
37歳 |
*作詞作曲*「アイスキャンデー」「ホープさん」「パチンコ人生」「冬が来たよ」「僕はタクシーの運転手」「ウクレレの歌」他*CM*「僕はアマチュアカメラマン」「晴れた青空に」「僕の彼女はダットサン」「金港節」他。 |
11/1米、初の核兵器使用演習行う。
|
1951 |
昭和26 |
- |
37歳 |
*SPレコード*ビクター「東京チカチカ」「泣きたいような」「金港ぶし」「港まつり」「僕はアマチュアカメラマン」「さくらアワー」「僕の彼女はダットサン」「僕はタクシーの運ちゃん」「僕は特急の機関士で」/コロンビア「ホ−プさん」「サラリ−マンエレジ−」「晴れた青空に」/デンオン「泣きたいような」 |
流行語:老兵は死なず/ノーコメント/社用族/12才
|
1952 |
昭和27 |
4月〜 |
38歳 |
ABC「アサヒビールコンサート・世界音楽地図」がスタート、ディスクジョッキーを繁田裕司の名で。(〜9/28) |
4/1琉球中央政府発足。
|
1952 |
昭和27 |
5月〜 |
38歳 |
NHK「ピーコポン太郎世界巡り」始まる。(〜12/15) |
4/28講和安保両条約発行、対日終戦宣言。
|
1952 |
昭和27 |
6月8日 |
38歳 |
NHK「日曜娯楽版」廃止。6/15より「ユーモア劇場」と改名。 |
7/19ヘルシンキオリンピック
|
1952 |
昭和27 |
- |
38歳 |
*作詞作曲*「僕は英語の習いたて」「風邪ひきの歌」「三月桜が咲く頃にゃ」「四月馬鹿」「僕は町の郵便屋さん」「僕は町のお巡りさん「ピンポンパン」「選挙くせものこわいもの」「泣き笑いABC」「エスキモーの歌」「恐妻節」「お医者さまでも」「おセンチ娘」「僕はへぼ絵かき」「雪のワルツ」他。 |
8/6広島平和記念公園、慰霊碑除幕式。
|
1952 |
昭和27 |
- |
38歳 |
*CM*「ゆうべミミズの泣く声聞いた」(作詞:サトウハチロー)「南の香りがしたっけね」「君の名はリボンジュース」「思い出のチョコレート」「やっぱり森永ね」 |
9/18チャップリン、離米。
|
1952 |
昭和27 |
- |
38歳 |
*SPレコード*ビクタ−「ピ−コポン太郎世界廻り」「ピ−コポン」「エスキモ−の歌」「カンガル−の先生」「恐妻節」「乾杯サラリ−マン諸君」「やっぱり森永ね」「思い出のチョコレート」「南の香がしたっけね」「君の名はリボンジュース」「ボクはアマチュアカメラマン」「泣き笑いABC」/コロムビア「選挙くせもの怖いもの」「あらカンタンね」 |
流行語:恐妻/貧乏人は麦を食え/こんなわたしじゃなかったに
|
1953 |
昭和28 |
1月 |
39歳 |
NHK「ユーモア劇場」「冗談音楽」続行中。 |
1/20アイゼンハワー米大統領就任。
|
1953 |
昭和28 |
1月 |
39歳 |
NHK児童番組「仲良し歌日記」「カランポロン劇場」始まる。 |
2/1NHKテレビ本放送始まる。次いでNTV。
|
1953 |
昭和28 |
- |
39歳 |
*その他のラジオ番組*「へなちょこ氏街を行く」「河童の園」「泣くな兵六」「緑ににおう花 」「ミルキ−タイム ・ペコの冒険」「婦人の時間」「若き世代へ〜音楽のよろこび」 |
3/5スターリン死後、後継マレンコフに。
|
1953 |
昭和28 |
12月24日 |
39歳 |
テレビの脚本を書く「38度線上のサンタクロース」(NHK)。 |
6/2英エリザベス女王戴冠式。
|
1953 |
昭和28 |
- |
39歳 |
*作詞作曲*「毒消しゃいらんかね」「燃えろペチカ*」「祭提灯」「僕は横町の陽気な床屋」「娘こころにさす影は」「わたしゃ町の易者じゃがね」「やぐら太鼓」「サンマ・サンバ」「ちょいとボート屋さん」「二人の雨」「僕は町の消防士」他。 |
7/27朝鮮休戦調印。
|
1953 |
昭和28 |
- |
39歳 |
*SPレコード*キング「サンマサンバ」/ビクター「毒消しゃいらんかね」「ミシシッピー水のお父さん」「カ−ボ−イの唄」「シャボテン物語」「耶子の木陰に」「チリリンチリリン」「ココナツルンバ」/テイチク「やぐら太鼓」「下町娘」 |
流行語:君の名は/さいざんす/おこんばんは/八頭身/プラスアルファー
|
1954 |
昭和29 |
1月1日 |
40歳 |
NHKハモンドジョッキ「冗談初占い」独演。 |
1/2皇居参賀二重橋混乱事故。
|
1954 |
昭和29 |
3月14日 |
40歳 |
三木鶏郎雲隠れ。朝日新聞社会面トップ記事「ユーモア忘れたユーモア劇場、録音前に内容変更、三木トリロー雲隠れ」。 |
2/1マリリンモンロー来日。
|
1954 |
昭和29 |
3月20日 |
40歳 |
榎本健一宅で会見。 |
2/19力道山シャープ対初プロレス。
|
1954 |
昭和29 |
3月27日 |
40歳 |
参考人として参議院電通委員会に出席。 |
3/1 第五福竜丸ビキニ水爆被災。
|
1954 |
昭和29 |
6月15日 |
40歳 |
NHK「ユーモア劇場」最終回放送。 |
4/10カンヌ映画祭で「地獄門」グランプリ。
|
1954 |
昭和29 |
7月25日 |
40歳 |
「冗談十年」出版記念会。 |
4/21犬養法相、造船疑獄で指揮権発動。
|
1954 |
昭和29 |
8月8日 |
40歳 |
文化放送「みんなでやろう冗談音楽」始まる。 |
7/1防衛庁、自衛隊発足。
|
1954 |
昭和29 |
12月26日 |
40歳 |
「みんなでやろう冗談音楽」三木鶏郎自身による番組完了宣言(京都大阪公開録音中)。 |
7/20ジュネーブ協定調印。
|
1954 |
昭和29 |
- |
40歳 |
*その他のラジオ番組*「エノケンの再軍備」(「泣くな兵六」元旦版)「エノケンのとかくこの世は」「新・白雪姫」「たのしい手紙」*テレビ*「我輩はテレビである」 |
8/14在日ソ連代表部員ラストボロ米国亡命。
|
1954 |
昭和29 |
- |
40歳 |
*映画*「落語長屋は花盛り」「夏祭り落語長屋」「落語長屋お化け騒動」「エノケンの天国と地獄」「ダンボ」 |
9/8東南アジア条約機構(SEATO)設立。
|
1954 |
昭和29 |
- |
40歳 |
*作詞作曲*「田舎のバス」「ヤレンナ・マンボ」「おのぼり娘」「プンのパ」「別れ来る」「これが自由というものか」「チンチロリン・サンバ」「ペンギン鳥は丘の上」「フィンランドという国は」他。 |
12/7吉田内閣総辞職。
|
1954 |
昭和29 |
- |
40歳 |
*CM*「キャラねえたん」「ワ・ワ・ワとワが三つ」 |
12/10第一次鳩山一郎内閣成立。
|
1954 |
昭和29 |
- |
40歳 |
*SPレコード*ビクター「落語マンボ」「チンチロリンサンバ」「新鞍馬天狗の歌」「角兵衛獅子」 |
流行語:スポンサー/ロマンスグレー/死の灰/戦力なき軍隊/バックボーン
|